値引き交渉している場面で「これ以上はびた一文まけられない」って台詞はドラマなどでは見かけます。
日常的に値引き交渉する習慣のない人は使うことのない台詞だと思いますが、よく耳にするので昔から使われてきたのでしょう。
一文は昔の貨幣というのはわかりますが、なぜ「びた」というのがつくのでしょう。
びた一文の「びた」の意味
びた一文まけられない、またはこれ以上はびた一文も出せないというお金の交渉の場面で使われるのが「びた一文」です。
「びた」とは、漢字で書くと鐚となります。
お金に悪いと書いて鐚と読みます。
これは永楽通宝という銭貨の中に非常に状態の悪いものがあり、それに対して鐚銭と言ったようです。
今のように貨幣の製造はしていませんでした。
もともとは鎌倉時代に中国から穴の開いた硬貨がわかってきて、それを真似て作った銭が流通していたわけです。
和銅開珎は中国の銭貨をを真似て日本で最初に作られたと言われていますが、もっと前から独自の銭貨が作られたという説もあるようです。
その中には、製造方法がずさんで、欠けたり削れたりして、状態が悪いものが沢山出回っていました。
戦国時代が終わって、江戸幕府が貨幣についてルールを定めようとしても、庶民の間では状態の悪い銭貨も使われることが続いていて、そのような状態の悪いものを鐚銭と呼んで非常に価値の低い銭貨として扱われるようになったわけです。
びた一文まけられない、びた一文出せないというのは、わずかな金額もまけられないし出せないということだったのですね。
お金を自由に作っていた時代
昔は品物を手に入れる時には、お金ではなく物々交換が主流だったようですが、お金というものが世の中に流通するようになると、経済が発展するようになります。
ですが、今のようにお金の価値が明確になっていませんから、戦国時代までは武将たちが独自のお金を作っていたそうです。
例えば徳川家康や織田信長も恐れた武田信玄は甲州金というお金を作っていたそうです。
織田信長も岐阜城や安土桃山城の城下町に流通させるための金銭の価値を定めたそうです。
有名なのは天正大判というめちゃめちゃ大きな金貨を作った豊臣秀吉です。
派手なことが好きで、パフォーマンスで人々を魅了することが得意だった豊臣秀吉らしいエピソードです。
まとめ
びた一文という表現は、鐚銭もないし、一文銭もない現在では通用しない表現なのでしょうが、びた一文!という強いメッセージを感じるので、わずかな金額でも譲れないという気持ちを伝える時にはこれからも使われるのではないでしょうか。