その人を知らざればその友を見よということわざの意味は、たぶん想像つく人が多いと思います。
ある人物のことを知りたいと思った場合は、その人の周りの友達を見てみると、どんな人物なのかある程度わかってしまうということです。
同じような意味のことわざや正しい使い方を調べてみました。
その人を知らざればその友を見よの使い方
その人を知らざればその友を見よということわざはは、他の言い回しをすることがあります。
古いことわざなので、言い回しは少し変化していますが、意味としては同じです。
使い方としては、新たな人物と知り合った時や、人間性をなかなか見せない人のことを知りたい時に使います。
例えば、昔も今も縁談話には事前に身辺調査することがあります。
その人物の周辺を調査する時に「その人を知らざればその友を見よ」ということわざがぴったりだと思います。
似た意味のことわざ
その人を知らざればその友を見よということわざには、「善悪は友を見よ」があります。
これは「類は友を呼ぶ」と同じ意味です。
悪い人物には悪い友達ができますし、善い人には善人の友達ができます。
そしてもう一つ、「その子を知らずんばその父を見よ」ということわざがあります。
子供は親の背中を見て育つと言われるほど、親の影響を強く受けるので、その人物のことを知りたければ親がどんな人なのか見ればわかるということです。
親がダメでも子供が立派になることもあるし、その逆もあるので、一概には言えませんが、育った環境は人間形成に影響するものです。
逆側から見たことわざ
その人を知らざればその友を見よ、そして同じような意味を持つことわざや格言はいくつかあるのですが、人物の背景を見てその人を知ることができるのはよくわかります。
それと同じように、人物を見ればその人の背景が見えることもあります。
「お里が知れる」や「親の顔が見てみたい」は悪い意味で使いますが、その人物を見れば育った環境やその人の背景が見えてくるという意味です。
「お里が知れる」とは、故郷の里の意味ではなく、今は実家のことです。
昔は育った地域のことを里と呼んでいましたので、その里の様子は一人の人物を見ればわかるという意味です。
「親の顔が見てみたい」とは、悪い人がどんな親に育てられたのか見てみたいという意味です。
善人や立派な偉業を成した人に対して「親の顔が見てみたい」なんて言うことはまずありません。
まとめ
その人を知らざればその友を見よということわざがあるように、自分の友達は自分自身を映すことになるのですね。
友達を作る時には、このことわざを思い出してみると良いですね。
良い友達が増えれば、自分の向上心も養われるという深い意味も感じることわざでした。