うがった見方をするとはどんな意味なの?悪い表現?それとも?

ことばの意味

人、どんなことも穿った(うがった)見方をするよね。

もしも自分に対してそう言われたとしたら、あなたはどう感じるでしょう。

穿った見方をするのは、何となく悪い意味だと思っている人が多いので、いい気持ちにならないかも知れません。

ほんとのところはどうなのでしょうか。

穿った見方とはどういう意味なのか、調べてみましょう。

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穿った見方とは?

穿った見方をするとは、「怪しんでいる」とか「疑っている」とか「偏った見方(偏見)」という意味で使われることが多くなっています。

ですが、穿った見方の意味は、物事の本質を見抜くことを表しています。

もともと穿つという意味は、穴を開けるということです。

物事の真相や、人の心の中にある深層心理を穴を開けるように深く見抜くことが、穿った見方という意味なのです。

穿った見方は、疑うという意味や怪しむという意味で使われるようになったのは、疑うという読み方と混同したのではないかと思います。

ということは、穿った見方をする人と人から言われた場合は、喜んでも良いわけです。

しかし、残念なことに穿った見方の本当の意味を知らないまま使っている人が多いので、褒められているかどうかはわかりませんけどね。

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穿った見方と同じ意味の言葉

穿った見方では、間違った意味で認識している人が多いので、本来の正しい意味で使ったとしても勘違いされる恐れがあります。

わざわざ正しい意味を伝えることができない相手には、穿った見方をするとは言いにくいものです。

では、勘違いされないために同じ意味で表現するとしたら、どんな言い方が当てはまるでしょう。

物事の本質を見抜くという意味であれば、「鋭い見方をする」とか「人とは違う角度から見る」というような表現であれば勘違いされないでしょう。

微妙な表現ですが、穿った見方をする人にそのまま伝える場合は、勘違いされないためにフォロは必要でしょう。

例えば、「穿った見方をしますね。物事の本質を鋭い視点で見抜くという意味がぴったりです。」とさりげなく本当の意味を付け加えると勘違いで人間関係を悪くすることも防げるのではないでしょうか。

まとめ

穿った見方をするとは、偏見とか、ひねくれた見方をするとか、怪しむとか、疑うとか、とにかく素直ではない意味で使われることが多すぎます。

誤用が広まると正しい意味で使うことの方が肩身が狭く感じてしまうなんて、妙な話です。

ですが、その誤用の流れをくい止めるためには、自分が正しい使い方をして、「その穿った見方は流石だ!」と本来の意味を広げていかなければいけません。

言葉の意味がどんどん逆転していく世の中なので、正しい使い方をする方が遠慮する必要はありません。

堂々と使えるように、自分のところで正していきましょう。