【坊主憎けりゃ袈裟まで憎い】とはどんな意味のことわざなの?

ことわざ・慣用句

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということわざは、けっこう使われる言葉なので、知っている人も多いと思います。

若い世代では知らない人の割合が高いかも知れませんね。

このことわざの使われる「坊主」とは、高校球児たちを連想させる坊主頭ではなく、僧侶のお坊さんのことです。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」のように、ことわざにはお坊さんがよく登場します。

それは、お坊さんという存在を使えば、言葉の意味が伝えやすくなると誰もが思うほど、お寺の僧侶は身近な存在だったからだと思います。

今回は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の意味や、その他の「お坊さん」が使われたことわざの意味を解説します。

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「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の意味

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とは、誰かを憎いという気持ちになってしまうと、その人に関係することがすべて憎らしくなてしまうという意味です。

お坊さんを憎いと思ってしまうと、そのお坊さんが身につける袈裟(衣の上にかける布のこと)まで憎く見えてしまうと、たとえているわけです。

誰かを嫌いになると、その人の出身地の方言をしゃべる人まで嫌いになるとか、その人と同じ名前の人を避けたくなるという話も聞いたことがあります。

わからなくもないことです。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」に類義することわざには、「親が憎けりゃ子まで憎い」という言葉もあるくらいです。

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お坊さんのことわざ

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の他にも、お坊さんを使うことで言葉の意味をわかりやすく伝えようとしていることわざがあります。

坊主のはちまき

「坊主のはちまき」という言葉には、2つの意味があります。

1つはお坊さんの頭にはちまきを巻いても滑って落ちてしまうから、しまりが悪いとか、無理なこととして使います。

もう1つは、すでに聞いていて知っているという意味です。
なぜ「坊主のはちまき」がそのような意味なのかというと、お坊さんがはちまきを巻くと、ずり落ちてしまい、耳で受け止めることになります。
だから、全てを耳で受け止めている→聞いていて知っていることを表しているのです。

坊主の花かんざし

「坊主の花かんざし」の意味を理解するためには、坊主頭にかんざしを飾ろうとする様子を思い浮かべてください。

花かんざしとは、小さな花で飾られたかんざしのことです。
かんざしは、結いあげた髪にさして飾るものです。

坊主頭にはかんざし使えませんよね。

「坊主の花かんざし」とは、持っていても使い道のないムダな物を指しているのです。

坊主丸儲け

「坊主丸儲け」は、現代でもよく使われますが、昔と今とでは少し解釈が変わっています。

もともとは、元手をかけずに大きく儲けることを指していました。
お坊さんは、お経をあげるだけでお布施を受け取るので、元手が要らないからです。

そこから、経費をかけずに儲かる商売のことを「坊主丸儲け」というようになったのです。

ただ、今は宗教法人が特別に優遇されて税率が低いという意味で、この言葉を使うこともあります。

税金の制度のことなので、本来の意味とは違うのですが、一般の人たちから皮肉として使われることもあるのでしょうね。

まとめ

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とは、人を憎むと関係ないものまで憎くなってしまうという人の感情を表すことわざです。

そのようなことわざに引っ張り出されるのは、お坊さんも気の毒なことです。

ですが、それほど世間ではお坊さんが親しまれていたという表れでもあるのでしょう。