【親の十七子は知らぬ】とはどんなことを表すことわざ?その意味は!

ことわざ・慣用句

親と子の間には、他人同士にはわからない感情が生まれるものです。
他人に言われれば腹も立たないのに、親に言われるとムカっとしたり。
他人の子供には冷静に対応できるのに、自分の子供にはついムキになってしまったりするものです。

親子のことに関することわざがとても多いのは、誰でも共感しやすい悩みや喜びがあるからでしょう。

親の十七は知らぬということわざの意味を知ると、なるほどね・・と親になってわかります。

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親の十七子は知らぬ

親の十七子は知らぬの意味とは、子供は親の若い頃のことは見ることはできないので、どんなことをしていたのかわからないということです。

表面的な意味はそれだけですが、もっと掘り下げると、親は自分の若い頃の失敗や悪行は子供には秘密にしていて、自分に都合の良い内容のことしか子供には話しません。

自分の子供のころのことを棚に上げて、子供には偉そうに説教している親に対して「よく言うよなぁ」という皮肉の意味で使うことわざです。

親の話は半分くらいに聞く

子供にとって、親は一番身近な大人です。
親は子供にとって立派な人間でありたいと思う気持ちがあるので、つい自分の子供のころのことは都合の悪いところを省いて話したくなります。

例えば親の若い頃の自慢話や苦労話をそのまま鵜呑みにして聞いていると、じつは半分くらいは話が盛られていたなんてこともよくあることです。

親が日ごろから話している自慢話や苦労話がじつは他人の話しだったとか、親の幼い頃のことを知っている人の話を聞いて事実とは違ったことなどを子供が知るとガッカリすることもあります。

ですが、自分が親になってみると、子供に偉そうな説教をするのですから、じつは自分はもっと悪いことしたり、人に迷惑をかけてきたことは知られないようにしたいですよね。

この感情は親になれば自然に湧いてくるものです。

あまりにも作り話が多すぎるのはダメですが、子供に聞かれたくないエピソードは隠したくなり、子供に聞かせたいエピソードは少し大げさにしたくなるものです。

子供が成長してくると、親の若い頃の自慢話や苦労話は耳にタコができるほど聞かされているので、それが事実かどうかなんてことも気にならなくなりますから、皮肉もほどほどにして欲しいですよね。

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同じ意味のことわざ

親の十七子は知らぬと同じ意味のことわざには、

「親の十七見た者がない」「姑の十七見た者がない」があります。

いずれも十七という年齢が使われているのは、子供から大人になる境界線として17歳が適齢だったからです。

昔は満年齢ではなく、お正月を迎えると年齢が1つ上がる数え歳を主に使ってたので、17歳は満年齢では15歳~16歳になります。

大人になる年齢が今よりもずっと若かったのです。

まとめ

親の十七子は知らぬは、親が子供の前で立派な人間に見られたいという気持ちを皮肉って言うことわざです。

皮肉もほどほどにして、親の気持ちを理解してくれるとありがたいものです。