【親の光は七光り】の意味は!なぜ「七」なのか!その語源とは?

ことわざ・慣用句

「親の光は七光り」または「親の七光り」など、親の恩恵を受けることを「七光り」と言いますよね。

ほとんどの人は、「親の光は七光り」の意味を正しく理解していると思います。

ですが、なぜ「七光り」なのか不思議に思ったことはありませんか?

「七」という数字にどんな意味があるのか、その語源や由来は何なのか気になりますよね。

「親の光は七光り」の「七光り」について詳しく調べてみました。

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「親の光は七光り」の意味とは

「親の光は七光り」の意味は、一般的に理解されている通りです。

本人には実力もないのに、親が実力者であったり、権力者というだけで、世間で重んじられたり、恩恵を受けること。

それは「親の光は七光り」の意味です。

親の口利きで就職したとか、親の地盤をそのまま引き継いだ政治家などに使われます。

皮肉や批判の意味で使われる言葉です。

「七光り」の語源とは

「親の光は七光り」「親の七光り」のように、親の恩恵を受けることを表すのに「七光り」というのはなぜなのでしょうか。

「七」という数字にどんな意味があるのか、七光りの語源を調べてみましょう。

七光りの語源には、2つの説はあります。

1つは、方角です。

方角は東西南北の4つで表すことが多いのですが、さらに南西、南東、北西、北東と分けられます。

南南東や北北西など、どんどん細かくなるのですが、子供を軸にして、七つの方向を光で照らすと、行く道がすべて明るくなるという考え方から七光りと言われるようになったという説です。

もう1つの説は、仏教の世界に語源があるという説です。

仏教では、地獄の閻魔様の裁きによって六つの道で生まれ変わると言われています。

それが六道と呼ばれます。

七光りの「七」は、六道から解脱して、仏の世界に行くことを表しているという説です。

親の恩恵によって、六道の苦行も経験せずに、いきなり光り輝く仏の世界に上れるということで、七光りと言われるようになったという説です。

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「親の光は七光り」の対義語

「親の光は七光り」は、親のおかげで得する子供のことですが、それとは反対に、親のせいで子供に害が及ぶという意味の言葉もあります。

「親の因果が子に報う」は、まさに「親の光は七光り」に対義する言葉です。

「親の因果が子に報う」の意味は、

親の悪行のせいで、子供には何の罪もないのに辛く苦しい目に遭うこと。

因果応報は、自分の行いがいずれ自分に返ってくるという意味ですが、親の因果なのに子供にも返ってしまうという意味なのです。

他にも、

「親の善悪は子に報う」
「親の罰は子に当たる」
「親の罪子に報う」

このような言葉があります。

たしかに親の悪事のせいで、子供まで非難されてツラい思いをさせられるというのは、現実にもあることなのでしょう。

理不尽なことですが、親になれば、子供のために正しい生き方をしなければいけないという教えの意味もあるのではないでしょうか。

まとめ

「親の光は七光り」や「親の七光り」と言われる人は、自分がどれほど恵まれているのかわかっていないのかも知れません。

周りからは羨ましがられるだけじゃなく、妬みもあるでしょう。

失敗すると「ほらやっぱり」と言われるでしょうし、上手くやっても当たり前だと思われるでしょうから、七光りもそれなりにツラいのかも知れませんね。