【四十にして惑わず】ということわざは現代人には使えないのでは?

ことわざ・慣用句

四十にして惑わずとは、四十という年齢が今とは全く違う価値観だった頃には何の違和感もなかったのでしょう。

でも今の40歳ってどうでしょう。

昔と今とでは、年齢の感じ方に大きな相違があるようです。

四十にして惑わずということわざの背景を考えてみました。

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四十は初老と呼ばれる年齢

今でこそ40歳前後のことをアラフォーなんて言いますが、昭和20年くらいまでは40歳は初老と言われる年齢でした。

三十路を終えて40歳になれば、老けていく一方の余生が始まるというわけです。

現代では40歳なんてまだまだ働き盛りです。

晩婚化が進んでいるので、40歳でも未婚の人も増えています。
昭和初期の頃には、女性は10代後半で結婚することも珍しくなく、その後も昭和50年代くらいまでは、25歳過ぎた女性は結婚適齢期を逃してしまった人と見られることすらあったそうです。

40歳が初老と言われていたのは、60歳を超えるまで長生きすることが難しかったからです。

今のように医療も発達していないので、50代で亡くなることも多かったので、40代はもう老後と考えられていたわけです。

四十にして惑わずということわざの意味

四十にして惑わずとは、人間は40年も生きていれば何ごとにも惑わされずに、道理や理屈をわきまえてきます。

迷って右往左往したり、惑わされてしまうこともなくなるという意味です。

さすがに40歳を初老と言うほどの時代に生きた人たちは、今の40歳とは違って落ち着きのある人間になれたのでしょう。

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初老と呼んでも違和感のない年齢

四十にして惑わずということわざが生まれた背景には、寿命が短くて、早く大人になって生きることを求められた時代です。

日本ではやっと18歳を成人として認める方向になりましたが、20歳以下を未成年者として保護してきた年月になってから、ジワジワと年齢の認識が変わってきました。

何しろ100歳オーバーの高齢者も増えているのですから、40歳を初老と呼ぶのは違和感しかありませんよね。

あるアンケートでは、初老の年齢は何歳なのか?という質問に対して、60歳が一番多かったという結果を見ました。

60歳といえば還暦です。

還暦のお祝いをするのは、その年齢まで長生きすることがとても難しく、その年齢まで生きられたことがてもおめでたいことだったからです。

そう考えると、今でも還暦は一つの区切りとしてお祝いする習慣が根付いているので、初老は還暦と同じく60歳にすればいいのに‥って思います。

四十にして惑わずということわざまで60歳に変えるのは無理だとしても、せめて40歳初老というのは時代とともに変えていく方が違和感がないのではないでしょうか。

まとめ

四十にして惑わずということわざがあるのは、昔の人の方がしっかりと厳しい人生を生きてきたからではないでしょうか。

寿命が延びて、ダラダラと時間を無駄にして中身の薄い人生にならないように、しっかり生きていかないといけませんね。

そんなことを考えさせられることわざでした。