【姿は俗性をあらわす】とはどんな意味があるの?

ことわざ・慣用句

「姿は俗性をあらわす」という言葉を聞いたことはありますか?

この言葉の意味を知ると、「なるほど」と納得する反面、何か違和感のようなものを持ってしまう人もいます。

納得する点もあるし、納得できない点もあるのはなぜなのか。

「姿は俗性をあらわす」という言葉について解説しましょう。

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「姿は俗性をあらわす」の意味とは

「姿は俗性をあらわす」とは、

人の身なりや立ち居振る舞いを見れば、その人の品格がわかる。

という意味があります。

この言葉で使われる姿というのは、顔や体型のことではありません。
服装や動作のことなので、生まれつきの容姿という意味ではないのがポイントです。

生まれつきの容姿で品格を判断するのは良くないですからね。

また、俗性というのは家柄や素性という意味です。

つまり「姿は俗性をあらわす」とは、その人の服装や動作を見れば、どんな家柄なのか、どんな環境で育った人なのかわかるということをあらわしている言葉なのです。

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「姿は作り物」という言葉がある

「姿は俗性をあらわす」という言葉は、姿から家柄や素性など、いわゆる「育ちがわかる」という意味です。

ですが「姿は作り物」という言葉もあるのです。

「姿は作り物」とは、人の容姿は着るものや身に付ける装飾品、化粧などでどうにでもなるという意味です。

どんなに貧しい境遇で育ったとしても、服装や化粧によって人は見違えるほど変わるというのです。

「姿は作り物」という言葉がよくわかる物語があります。

「王子と乞食」という童話です。
そのお話では、似ている顔をした王子と乞食が着ているものを交換してみると、王子なのに宮殿を追い出されてしまい、乞食だった少年が王子として扱われます。

これは服装によって育った境遇など関係なく判断されてしまうという皮肉な話です。

しかし「姿は作り物」というのは、見た目だけの問題です。
どんなに豪華に着飾ったとしても、その人の動作や言葉使いまではどうにもなりません。

ただじっと動かずに、何もしゃべらずに居るだけならば、服装や化粧などでどうにでもなりますが、それだけでは隠しきれないのが俗性というものなのでしょう。

「姿は俗性をあらわす」とは、言葉や立ち居振る舞いは滲み出るものなので、身なりだけではごまかせないという意味なのではないでしょうか。

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外見で判断するのは?

「姿は俗性をあらわす」とか「姿は作り物」など、容姿や身なりによる人の印象を指す言葉はいくつもあります。

たしかに仕草や言葉使いは、どんなに外見を変えても出てしまうものなので、隠しきれないと思います。

ですが、外見だけで人を判断してはいけないとも言われますよね。

たしかに外見だけでは人間性まではわからないので、見た目だけで判断するのは良くないことだと思います。

ただ、姿によって人の印象が変わるのも否定はできないので、人に良い印象を持ってもらいたいのなら、身なりには気を配るべきなのかも知れませんね。

まとめ

「姿は俗性をあらわす」という言葉は、外見で人を判断することを肯定する意味というわけではなかったようです。

育った環境による「品の良さ」は、簡単に身に付くことではないので、どんなに姿を真似ても品格までは真似できないのでしょうね。