【何でも来いに名人なし】とはどんな意味?

ことばの意味

「なんでも来いに名人なし」という言葉を知っていますか?

聞いたことないなぁ

知ってる?

私もはじめて聞いた

有名なことわざか何か?

最近はあまり使われなくなったので、知らない人も増えていると思います。

この言葉の意味は、今の時代にも当てはまるのですが、違和感をおぼえる人もいるようです。

それはなぜなのか、考えてみましょう。

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「何でも来いに名人なし」とは

「何でも来いに名人なし」の意味は、

何でもできるという人は、名人といわれるような人はいないということ。

新明解故事ことわざ辞典

ということです。

つまり、何でも来い!と言える人は、色んなことをそつなくこなせる器用な人ということ。

しかし、名人と呼ばれるような人は、ひとつのことに集中しなければその域に達しません。

どんなことも、人並みにできるような器用な人がひとつのことに集中すれば、スゴイ名人になりそうなものですが。

何でもできてしまう器用さがあると、そんなにひとつのことにこだわらなくても、色んなことに興味を持ち、色んなことを試したりするので、なかなか長続きしないのでしょうね。

名人と呼ばれるような人は、意外と不器用だからひとつのことに集中する必要があるのではないでしょうか。

「何でも来いに名人なし」の類語

「何でも来いに名人なし」と通じる意味を持つ言葉は他にもあります。

例えば、

「多芸は無芸」です。

色んな芸ができるという人は、そこそこの芸が色々できたとしても、人が驚いたり、感動したりするようなスゴイ芸はできないという意味です。

「何でも来いの何でも下手」

これはちょっと手厳しいですが、何でもできるとしても、それは上手くできるわけではなく、必要最低限のことだという意味です。

「器用貧乏」も通じるところがあります。

やはりこれも、何でも器用にできる人は、安定した職に就くよりも、色んな仕事を転々としてもなんとかなってしまうため長続きしません。

長く勤務しなくても大成功できる一部の人を除いて、安定して仕事が続けられない人は賃金も上がりにくいため生活は豊かにならないのでしょう。

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何でも来いの方が良い?

「何でも来いに名人なし」という言葉は、褒め言葉ではありませんよね。

しかし、今はちょっと様子が変わってきました。

どんなことも人並み程度なら器用にできる人が名人になれないのは、自分の才能を見つけることができないからです。

たとえば、何をやらせても不器用な人間なのに、計算が早いとか、暗記するのが得意など、人には何かひとつくらいは人並み以上の才能が隠れている可能性があります。

しかし、何でもこなせる人は、その何かひとつが見つけにくいのです。

何でもそれなりにできてしまうから。

しかし、何でもそれなりにこなせる器用な人は、いわゆるオールラウンダーとして活躍の場が広がるから良いのでは・・と言う考え方もあります。

たしかにそれはそうかも。

必ずしも、ひとつに絞る必要はないし、本当に得意なことを見つけるためにも、色んなことにチャレンジするのもアリなのかも知れませんね。

まとめ

「何でも来いに名人なし」という言葉には、一理あると納得する反面、何でも器用にできる人が得意なことを見つけて本気を出したときは、スゴイ名人になるでしょう。

ただ、得意なものを見つけるために色々試す時間が無限にあるわけではないので、その点をちゃんと考えられる人なら、成功者になれる可能性は高いと思います。