「くたびれる」と「疲れる」は同じ意味だけど使い方に違いがある?

ことばの雑学

「くたびれる」と「疲れる」という言葉は、どちらも同じ意味として使えますよね。

もうヘトヘトにくたびれたよ

私も疲れてクタクタになったわ

とまあ、どちらも同じような使い方をするのです。

ところが「くたびれる」は使えるのに、「疲れた」は使えないこともあるのです。

同じ意味なのに、なぜ「くたびれる」はOKで「疲れた」はNGなのか・・不思議です。

2つの言葉の使い方の違いについて、考えてみましょう。

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「くたびれる」と「疲れる」の違い

「くたびれる」は「草臥れる」と書きますが、一般的には感じで書くことは少ないので、読める人の方が少ないでしょうね。

「くたびれる」の意味を調べると、疲れる、元気がなくなることです。

やはり「疲れる」と同じ意味なので、違いはないのです。

ですが「くたびれる」には「疲れる」とは別の意味で使うこともやはりありました。

それは、物に対してです。

例えば、長い間使っている鞄に対して

もうずいぶん長く使ってるから

この鞄もくたびれてきたな

という使い方をすることがあります。

しかし、

この鞄も使い込んだから

疲れたわね

とは言いませんよね。

同じように「疲れた」状態をあらわす言葉なのに、一方は物に対して使うのに一方は物に対しては使わないという違いがハッキリしているのです。

草臥れるの語源

使い込んだ物に対して「くたびれる」というのはなぜなのか・・。

もしかしたら「草臥れる」という字の由来に理由があるのかも。

そう思って調べてみました。

「草臥れる」の語源は、疲れて草の上に臥すことです。

つまり、ヘトヘトに疲れ切って、草の上に倒れ込むような状態のことなのですね。

物に対して「くたびれる」と使う理由は、語源からはわかりません。

謎ですね。

精神的な疲労には?

疲れるのは、肉体的な事だけとは限りません。

精神面での疲労には「くたびれた」とはあまり言いませんね。

気を使い過ぎて

心が疲れた

気苦労が多すぎて

人生に疲れたわ

このように、肉体的な疲労ではない意味では「疲れた」を使います。

「心がくたびれた」とか「人生にくたびれた」という表現は、あまり馴染まない気がしますね。

「くたびれる」の使い方

なぜ使い込んだ物に対して「くたびれる」を使うようになったのか、その謎を考えてみました。

「くたびれる」の語源は、草の上に倒れ込むほど疲れ切ってヘトヘト、クタクタになった状態なので、ただ「疲れた」というよりも一段上のヘトヘト度合いだと思うのです。

そこまで疲れ切った状態が、使い込んでヨレヨレになった物の状態をあらわすのにちょうどよかったのではないでしょうか。

あくまでも、推測ですが。

まとめ

「疲れる」という意味の「くたびれる」なのに、無意識のうちに私たちは使い分けているのですね。

物に対しては「くたびれる」、精神面に対しては「疲れる」と。

肉体的な疲労に対しては、どちらでも使えますが、よりヘトヘトな感じを伝えたいのなら「くたびれる」の方が伝わりやすいのではないでしょうか。