「耳ざわりの良い言葉を並べてるだけ」など、政治家に対する厳しいコメントなどで耳にする表現です。
選挙が近くなると、候補者が有権者の興味を引くような政策ばかりを並べてアピールすることに対して言われますね。

実現できそうにないことでも
アピールする政治家多いよね

口だけだと思って
冷ややかに聞いてるよ
冷静に判断している人もいますが、「耳ざわりの良い言葉」に流されてしまう人もいるのでしょう。
だから報道番組などで「耳ざわりの良い言葉を並べているだけ・・」というような厳しい声も出てくるのでしょう。
さて、選挙の話はここまで。
問題は「耳ざわりの良い言葉」という表現です。
この表現は日本語として間違っていると言われているのですよ。
それなのに、堂々と報道番組などで使われています。
ホントのところ、誤用なのでしょうか。
調べてみました。
「耳ざわり」とは
「耳ざわり」という言葉の意味をまず調べてみました。
すると「耳ざわり」は「耳障り」と「耳触り」の2つの表記があることがわかりました。
耳障り
耳障りとは
聞いて、不快に感じたりうるさく思ったりする様子
とあります。
これは、目障りと同じです。
目障りは、目で見て不快に思ったりする様子ですから、その耳バージョンということでしょう。
他にも「気に障る」という言葉があります。
このように「障る」と書いた場合は、邪魔になる、害になる、妨げになるという意味なので、良い印象に対して使うことはないわけですね。
耳触り
耳触りとは
耳で聞いた時の感じ
とあります。
これは手触りと同じです。
手触りは、実際に手で触れてみた感じのことです。
「手触りが良い」とか「手触りが悪い」など、どちらにも使われます。
ということなので「耳触り」と書いた場合は、耳で聞いた感じが良くても悪くても使えるわけです。
つまり、最近になってよく聞く「耳ざわりの良いことばかり言っている」という表現の場合は「耳触り」の方であれば間違いではないということなのでしょう。
「耳ざわりの良い」の使い方
「耳ざわり」の意味を調べてみて、はじめて「耳触り」という表記で書くことがあるのを知った筆者です。
「耳ざわりな音楽だ」というように、不快に感じる音に対して使うのだと思っていましたから、「耳ざわりの良い」というのは誤用ではないかとモヤモヤしていたのです。
ところが「耳障り」と「耳触り」は別だから問題ないと・・・。
ですが、この「耳触り」は「手触り」や「舌触り」という表現から生まれた言葉であり、造語のようなもので広く認識されていたわけではないとか。
それが一気に広まったのは、やはり政治家たちが有権者に対して並べたれる内容に対してテレビのコメンテーターなどが「耳ざわりの良いことばかりではなく・・」という表現を使い始めたのが大きいのではないかと感じています。
まとめ
同じ「耳ざわり」でも使う文字の表記によって意味を使い分けるのは、日本語にはよくあるケースです。
それも後から新たに生まれるので、複雑さが増しているように思いますね。
「耳ざわりの良い言葉」は誤用だ!と意気込んでいましたが、どうやら現在はそうとも言えなくなっているそうです。