高山の巓には美木無しとはどんな意味のことわざ?どんな場面で使う?

ことわざ・慣用句

高山の巓には美木無しとは、聞く機会の少ないことわざなので、意味を知らない人も多いでしょう。

どんなことを伝えようとしているのか、ことわざの意味を調べてみました。

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高山の巓には美木無しとは?

高山の巓(いただき)に美木無しとは、高い山の頂上付近は強い雨風に晒される過酷な環境なので、樹木も枯れやすく、美しい樹形を保つことが難しいという意味です。

そのままの意味では、ことわざとして伝わることはありませんが、高い山を人に置き換えることで、伝えたいことが見えてきます。

高い地位にある人は、それだけ尊敬されると同時に、妬まれる対象になります。

その妬みや嫉みから、失脚させられることも多いので、高い地位や名誉を長く保ち続けるのは難しいという世の中の厳しさを教えているのです。

日本屈指の有名な自動車メーカーの日産の経営破綻の危機から救ったカリスマ経営者のカルロス・ゴーン氏のニュースを見ると、このことわざを思い出しました。

せっかく尊敬されるような手腕で日産を救ったのに、何だかセコくでケチ臭い不正が疑われるなんて正直なところがっかりした方が多いのではないでしょうか。

高山の巓には美木無しとは、高山の巓に立つ人間の心も美しくなくなるという解釈もできるな・・と思ってしまうようなニュースでした。

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大樹の下に美草無しは同じ意味?

高山の巓には美木無しと同じような意味のことわざに、「大樹の下に美草無し」というのがあります。

このことわざは、高山の巓には美木無しと似ていますが、少し意味が違います。

大樹の下に美草無しとは、あまりにも大きな存在になった人の周りには、有能な人材は育たないという意味です。

大樹になると、その下は強い陽射しを避けることもできますが、十分な日光を浴びることができないので、植物の育成が不十分になるからです。

あまりにも立派な大木の根元では、草花が育つのが難しいので、その環境を人に置き換えていることわざです。

立派な人物の近くにいて、様々なことを勉強することも可能ですが、強い陽射しや雨風から守ってもらえるので、ぬるま湯環境になってしまい、人材が育たないのです。

高山の巓に美木無しというのは、妬みや嫉みでその立場を負われないように気を付けなさい!と教えていますが、大樹の下には美草無しは、人材を育てるためには、大樹の下ではないところで育てなさい!ということを伝えたいのです。

まとめ

高山の巓に美木無しも、大樹の下には美草無しも、あまりにも高い地位に立つ人物の周りには、イエスマンしかいなくなり、正しい意見を言えるような人物が近寄らないので、高い地位を保つのは難しくなるのでしょう。

高い地位に登りつめるまでに、様々な人物が支えてくれたことを忘れてはいけませんね。