【他人の念仏で極楽詣り】の意味とは!類義語や使い方の例文など!

ことわざ・慣用句

「他人の念仏で極楽詣り」ということわざを知っていますか?

はじめて聞いた人でも、何となく意味は理解できるのではないでしょうか。

ちょっとズルい行為のことを表す言葉です。

あまり使われなくなっていますが、意味を知っておいて損はないと思います。

今回は「他人の念仏で極楽詣り」の意味と、類義することわざを集めてみました。

同じ意味のことわざでも、随分と表現に差があるので、参考にしてください。

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「他人の念仏で極楽詣り」の意味とは

自分があの世にいったあとに、極楽にいくか地獄に落ちるのかは生前の行いが重要だと言われています。

念仏を唱えるのも、極楽浄土へ行きたい気持ちから行う修行です。

それなのに、他人が唱えている念仏に自分も便乗して極楽へ行こうとするようなズルいことを考える人もいます。

「他人の念仏で極楽詣り」とは、

人の労力を利用して、自分の利益にしようとすること。

という意味です。

ちゃっかり人の労力に自分も乗っかろうとする人に対して、皮肉を込めた言葉です。

ズルいことではありますが、「他人の念仏で極楽詣り」のような人って、要領が良く立ち回れるので、得しているように見えることもあります。

でも、さすがに念仏まで他人様に乗っかろうとしても、あの世でバレそうですよね。

「他人の念仏で極楽詣り」と類義する言葉

「他人の念仏で極楽詣り」のように、人の努力や苦労を自分のものにして得しようとすることを表現することわざは他にもあります。

いくつか集めてみましたので、見ていきましょう。

人のごぼうで法事する

「人のごぼうで法事する」とは、義理を果たすのに、自分のものではなく人のものを使うことという意味があります。

なぜごぼうなのかという理由は、法事では精進料理でもてなすので、精進料理にはごぼうをよく使うからです。

人のふんどしで相撲を取る

「人のふんどしで相撲を取る」は、よく使われるので知っている人が多いと思います。

人のものを使って、自分の目的を果たすことを表しています。

相撲を取る時に身につけるのは、「まわし」と呼ばれるものですが、「わまし」もふんどしの一種です。

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他人の賽銭で鰐口叩く

「他人の賽銭で鰐口叩く」は、人が投じたお金を使って自分もご利益を得ようとすることを表しています。

賽銭とは、神社やお寺に収めるお金です。

鰐口は、神社やお寺などの高いところにつるされている丸い金属のことです。

これを打ち鳴らすことで、神様や仏様に参拝を知らせるとされています。

自分は賽銭を投げてもいないのに、まるで自分が投げた賽銭のような顔をして鰐口を叩くようなことは、とてもズルいですよね。

身銭を切らずに人のお金で得しようとすることを表すことわざです。

人の提灯で灯りを取る

暗い夜道では足元を照らす提灯がないと困ります。

「人の提灯で灯りを取る」とは、人の持っている提灯の灯りを地頼りにする様子から、人の物で恩恵を受けるという意味です。

人の太刀で功名する

「人の太刀で功名する」とは、人の物を使って手柄を立てたり、自分の利益にしようとすることです。

太刀とは刀のことです。

武士の時代には、理解されやすい表現だったのでしょう。

舅の物で相婿もてなす

このことわざは、そのシーンを想像しないと理解が難しいと思います。

「舅の物で相婿もてなす」の意味は、自分のふところはいためずに、人のもので義理を果たそうとすることです。

妻の実家で舅が振舞ってくれた料理などで、婿同士が褒め合って義理を果たす様子で表しています。

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「他人の念仏で極楽詣り」の使い方

「他人の念仏で極楽詣り」の使い方を例文で見てみましょう。

このお城は国宝に指定されているのかな。

私は歴史に詳しくないから・・わからない。

解説が欲しいよね。

あのツアー団体の近くにいれば、ガイドの説明が聞けるよ。

そんな他人の念仏で極楽詣りみたいなことするの?

いいじゃない、さりげなく聞くだけなら。

このような場面に遭遇したことありますよね。

美術館とか観光地などで有料ガイドの説明をちゃっかり聞いてしまう人。

小さなことですが、ちゃんとお金を払ってガイドをつけている人から見れば、ズルい人だと思われてしまうでしょうね。

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まとめ

「他人の念仏で極楽詣り」のように、人の苦労や努力にちゃっかり便乗して得しようとする人は、今も昔もいますよね。

オイシイところだけかっさらっていくような人には、気を付けましょう。