時代もののドラマや映画などに出てくる花魁は、華やかで京都の舞妓さんとはまた違った魅力があります。
花魁と言えば江戸時代にできた吉原が一番有名です。
吉原は幕府が認めた歓楽街で、吉原から生まれた文化も沢山あったそうです。
花魁が時代劇に登場すると、特徴的な言葉を使います。
これを廓言葉といい、遊郭の様子を伝える効果があります。
ここでは、花魁の話す廓言葉の由来をまとめています。
今でも廓言葉がもとになった言葉が日常的に使われているの?という疑問についても調べています。
廓言葉の由来とは
廓言葉は花魁言葉といわれることもあるほど、花魁を象徴する言葉です。
もっとも特徴的な廓言葉は語尾に「~ありんす」と付けたり、自分自身のことを「あちき」とか「わちき」と言ったりします。
もともとは京都の花街で使っていた言葉をもとにしていたという説もあります。
時間の経過とともに江戸の吉原がどんどん繁栄して、吉原独自の言葉も増えてきたようです。
廓言葉を使う理由
それにしても、なぜ花魁たちは一般社会とは違う言葉を使ったのでしょうか。
色んな説があるようですが、吉原のような大規模な遊郭街になると、そこに集まる女性たちは全国津々浦々から集められます。
お金と引き換えに身売りする大人の女性もいますし、子供を育てられない貧しい家から幼い頃に売られてきて、花魁修行をしながら働く女児たちも多かったそうです。
なんとも悲しいというか、切ない話ですが、表はとても華やかな世界だったことは間違いないようです。
さて、なぜ廓言葉を使うようになったのか?という問題ですが、これはお国訛り(方言)を出さないためだったという説が有力です。
今でも方言を直すのって大変なことです。
だからそのお国訛りが出ないように、廓独自の言葉を使うようになったと言われています。
廓では、身分の違いはありません。
もともとがどんなに高貴な生まれだったとしても、武家の家に生まれたとしても、貧しいお百姓さんの家から売られた子供と同じです。
廓に来るまでの人生は、その時点でリセットされるのです。
そのためにも、身分の違いが見えやすい言葉を揃えることが必要だったのではないでしょうか。
今も残る廓言葉とは
現在では、廓言葉と言えば「~ありんす」くらいしか知らない人が多いと思いますが、じつは日常的に使っている「モテる」というのは廓がもとだったと言われています。
吉原などの遊郭では、いくらお金を使っても簡単に遊ばせてもらえないことも多かったそうです。
とくに位の高い花魁になると、花魁の方で客を選べるほどだったとか。
そんな廓の中で「もてはやされる」お客になるのは簡単なことではなかったようです。
これが「モテる」の語源になったという説があるのですね。
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まとめ
花魁は京都の舞妓さんや芸者さんと並んで、外国人は強く興味を持つようです。
舞妓さんや芸者さんと違って、今は本物の花魁を見る機会はまずありませんから、その点も惹かれるのでしょうね。
花魁たちの使う廓言葉は、知らない世界へ引き込まれる魅力なのではないでしょうか。