幸運のために、人は神頼みをしたり、仏様にお願いしたりします。
運の良い人を羨ましく思い、自分にも幸運が巡ってくることを願っているというのは、私だけじゃないでしょう。
宝くじが当たったら・・・という妄想をいつもしている私にとって、運待つは死を待つに等しということわざには嫌な予感しかありません。
この運待つは死を待つに等しということわざの意味について解説しましょう。
運を待つは死を待つに等しの意味
運を待つは死を待つということわざは、
自分では何の努力もしないで、ただボーっと幸運が巡ってくるのを待っているだけでは自ら滅んでしまうのを待っているようなものだ
という意味です。
幸運は、ただ待っているだけでは巡ってこないから、自分で幸運をつかみ取りにいかないとダメだよって意味です。
これって、ただ宝くじを定期的に買っていれば、運が転がってくることもあるかも知れないと甘い考えで妄想ばかりしている私には耳が痛すぎます。
たしかに、宝くじの高額当選という幸運を何度も手にしている人は、運気アップのために色んなことをしているようですが、それが努力になるのか?はちょっと微妙です。
でも努力している人のところには、運も巡ってくるような気がするので、ただ運まかせで待っているのはダメなのでしょうね。
同じような意味のことわざ
運を待つは死を待つに等しということわざに似た意味のことわざには、「寝ていて牡丹餅は食えぬ」があります。
棚から牡丹餅ということわざは、正反対の意味ですね。
寝ていては牡丹餅は食えぬと、努力を促すことわざはあるのに対して、棚から牡丹餅が落ちてくるような運の良いこともあるという正反対の意味のことわざがあるのが不思議です。
反対の意味のことわざ
運待つは死を待つに等しということわざの反対の意味を持つことわざは、意外と多くありました。
「果報は寝て待て」というのは有名ですね。
良い知らせは、じたばたせずにただ寝て待っていれば良いということです。
自分の力では運は巡ってこないから、焦らずに寝て待っていれば良いという意味なので、まさに正反対です。
他にも「待てば海路の日和あり」ということわざも反対の意味です。
今はどんなに海が荒れていても、焦らずに待っていると海は穏やかになって海に出られる日が来るということです。
こうして運待つは死を待つに等しということわざの反対の意味のことわざの方が気持ちをラクにするので、人々が使うのはラクになる方でしょうね。
まとめ
運は待っているだけじゃダメだと言われるけど、頑張って努力しても手に入らない幸運もあるわけです。
ということで、正反対の意味を持つことわざを比べてみると、きちんとやるべきことをやって、ズルいことを考えずに努力しながら、幸運が巡ってくるのを待つ・・。これでいかがでしょう。