「人を見て法を説け」という言葉を聞いたことがありますか?
この言葉の由来は仏教の人々に説いたお釈迦様だと言われています。
由来を知ると、何となく意味も想像つく方が多いのではないでしょうか。
今の世の中では、「人を見て法を説け」は仏教とは全く離れた場面で使われていますから、意外な由来だと思われたかも知れませんね。
どのような場面で使われるのか、この言葉について解説しましょう。
「人を見て法を説け」の意味とは
「人を見て法を説け」とは、
人を説得したり、諭したり、説明する時には、相手の性格や個性、考え方の傾向、理解力などを見極めて、その人が理解できるようにわかりやすい言い方をすることが必要だ。
という意味です。
「人を見て法を説け」の語源とは
「人を見て法を説け」という言葉の語源とされているのは、仏教の教えを説いていたお釈迦様が、目の前にいる人々の知識や性格などに応じて、話し方を変えたのが由来だという説からです。
「座を見て法を説け」や「機に因りて法を説け」も同じ意味です。
わかりやすく言えば、学問に精通している人の前では、難しい言葉を使っても話の内容を理解できるが、学問の機会に恵まれなかった民の前で同じように難しい言葉で話しても理解されません。
理解できない話は、どんなにありがたい内容だったとしても、聞く人の心には届きません。
話す相手に応じて、同じ内容でも話し方を変えることが大切だという教えの意味があるのです。
「人を見て法を説け」は落語の起源?
落語といえば古くから伝わる笑いの芸と思われています。
今の落語はたしかに笑わせるための芸ですが、落語の演目の中には笑いがほとんどないものもあります。
親子の情や人の情けなどを描いていて、ホロっと泣けるような話もたくさんあるのです。
これは落語のルーツが仏教の説法だと言われていることに通じています。
「人を見て法を説け」という言葉の由来がお釈迦様にあると言われるように、昔からお寺の僧侶は人々に仏教の説法をわかりやすく話して聞かせていました。
現代のように義務教育もありませんから、大人でも読み書きのできない人がいましたから、難しい内容をかみ砕いて話さなければ理解できません。
落語のルーツと呼ばれている人は、安楽庵策伝という人物です。
もともとはお寺に集う人々に説法を聞かせていたと言われています。
この人の話がとても分かりやすく、話の最後に落ち(関東ではサゲ)があったと伝わっています。
それが今の落語のルーツだと考えられているのです。
この安楽庵策伝という人物の話の面白さは、時の天下人である豊臣秀吉の耳にも入り、お気に入りになったという説もあるほどです。
「人を見て法を説け」の使い方
「人を見て法を説け」の使い方を例文で見てみましょう。
今度の日曜日は選挙だね。
選挙なんて興味あるの?
興味というか、せっかくの権利だから投票しないと勿体ないじゃない。
そうかな。
世の中に不満があるなら、ちゃんと投票に行って自分たちの代表を選ばないと社会は変わらないと思うよ。
そうなんだろうけど、政治の話って難しくてわかんないよ。
まあ、たしかに政治家は難しい言葉を使いたがるよね。
わかりやすく話すつもりないんじゃないかなって思うよ。
子供にも理解できるように政治の話ができる人は、ほんとに優秀な政治家かも知れないね。
人を見て法を説けって言葉を政治家の人たちは胸に刻むべきだね。
なんか難しい言葉を使えばわからないだろう・・・ってバカにされているみたいな気持ちになるから嫌いなの。
気持ちはわかるけど、そういう不満も含めて政治家を選んでみると見る目が変わるかも知れないよ。
このような場面で使えます。
この例文の内容は、私自身が子供のころに感じたことです。
親の質問した記憶もあります。
「どうしてニュースに出てくるおじさんたちは、難しい日本語ばかり使うの?」と・・。
親は答えに困っていましたね。
本当に優れた人は、相手に合わせて臨機応変に話し方を変えられるのです。
テレビの向こう側で見ているすべての人が理解できるような話し方をしなければ、興味を持たれることもないのです。
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まとめ
「人を見て法を説け」の意味や由来を知ると、人を説得したり、人に何かを伝えようとするときには、相手のことをよく見ることがとても大切だとわかります。
独りよがりで話すことに夢中にならないように、気を付けたいですね。