「分別過ぎれば愚に返る」ということわざを聞いたことがありますか?
このことわざに使われる「分別」という言葉は、よく使われます。
お説教される時に聞いたことがあるという方も、いるのではないでしょうか。
今回は「分別過ぎれば愚に返る」ということわざの意味から、「分別」を使った他のことわざの意味まで解説します。
「分別過ぎれば愚に返る」とは
「分別過ぎれば愚に返る」とは、
あまり考え過ぎてしまうと、かえって考えがまとまらずに、失敗してしまう。
このような意味があります。
「分別」とは、物事の道理をよく理解すること。
または善悪をよく考えることや、損得について考えることなど。
「分別のわからない子供でもあるまいし」などと、お説教する時に使われるのは、このような意味があるからです。
「分別過ぎれば愚に返る」とは、「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」や「薬も過ぎれば毒となる」などと同じように、何ごとも過ぎてしまえば良いことも悪くなってしまいます。
どんなに良いことだと思っても、程々にしなければいけないという教えを伝えていることわざなのです。
「分別」が使われることわざ
「分別過ぎれば愚に返る」の他にも、「分別」を使ったことわざはあります。
いくつかご紹介しましょう。
分別ない者に怖じよ
「分別ない者に怖じよ」とは、
物事の良し悪しも理解できず、道理もわからないような者は、何をするか予測もできないので、注意しなければいけない。
という意味の言葉です。
人が怖がる対象として、幽霊や妖怪などが真っ先にイメージされます。
しかし、幽霊や妖怪などよりも、分別のない人間の方がよほど恐ろしいので、気を付けなければいけないという教えです。
分別の分が百貫する
「分別の分が百貫する」とは、
何ごとも慎重に考えて、軽率な行動は慎むことが大切だ。
という意味の言葉です。
百貫というお金の単位が使われているのは、分別のある行動には、それだけの価値があるという意味です。
昔の貨幣の「分」は、一分金や一分銀など、金貨や銀貨の単位でした。
それほど慎重に考えて、分別のある行動をすることには価値があると伝えているのでしょうね。
糞は出たが別は出ない
「糞は出たが別は出ない」とは、分別の分を糞と言い換えています。
この言葉は、良い考えが出てこない時に使います。
深い意味があるわけじゃないので、洒落のような言葉ですね。
まとめ
分別のない人よりも、分別のある人になりたいと思いますが、「分別も過ぎれば愚に返る」のように、程々じゃないとダメなのですよね。
どんなことも、やり過ぎ注意!ってことは、時代が変わっても同じなのでしょう。