愛想も小想も尽き果てるということわざは、とことん呆れ果てる時に使います。
約束を何度も破る人に対して使うことわざですね。
ことわざの意味としてはわかるのですが、小想ってなんだ?という疑問がわきました。
愛想も小想も尽き果てるということわざについて調べてみました。
愛想と小想の意味
愛想は「愛想をふりまく」ことでもわかるように、人に対してサービス精神をもって対応することです。
サービス業の人は、愛想をふりまくのは業務のうちに含まれるでしょう。
仕事ではないにしても、家庭内でも愛想をふりまけば雰囲気も明るくなるし、人と人との関係が上手くいくので愛想って大切なことです。
ところが小想だけでは使うことはありません。
愛想も小想も尽き果てるということわざ以外では見かけることもないのです。
この小想は、「愛想が尽きた」という表現をさらに誇張するために付け加えた言葉なので、小想自体に意味があるわけではないのです。
愛想が尽きただけでは足らないくらい呆れ果てた時に小さい愛想も出てこないほどつくづく呆れるという意味なのです。
愛想も小想も尽き果てると同じ意味のことわざ
愛想も小想も尽き果てるということわざは、親しい人に対して使うことが多いと思います。
親しい人間関係が崩れる時に使うことはしっくりきます。
似ていることわざや言葉は他にも色々あります。
「さじを投げる」というのは、どうにもならない状態でお手上げだという意味ですが、人に対して使う時には愛想を尽かすことと同じような意味でも使えると思います。
「開いた口が塞がらない」というのも、相手の言動に呆れて口をあんぐりと開けてしまうことです。
「二の句が継げない」というのも、呆気にとられて言葉が出てこない状態のことです。
「仏の顔も三度まで」は、三度目まではガマンして愛想良くしてやさしい仏様のような顔でいたけど、それ以上はガマンできない!という表現です。
愛想も小想も尽き果てる前に予防線を
愛想も小想も尽き果てると言い放つ時は、とことん呆れている状態ですよね。
例えば、「終電に乗り遅れるまで飲み歩くのは絶対にやめて」と旦那さんと約束したのに、何度も約束を破られた時などにピッタリすることわざです。
でも、次はない!!ことを事前に伝えておくと、愛想も小想も尽き果てる状態にならないかも知れません。
最後通告なしにいきなり愛想も小想も尽き果てることはないと思うので、「次はない」ことをしっかり伝えることが大切でしょう。
まとめ
愛想も小想も尽き果ててしまうような経験は、できればしたくないものです。
できるだけ愛想の在庫を減らさないように、おおらかな気持ちで過ごしたいものです。
期待するとガッカリの反動も大きいので、愛想の在庫を減らさないためには、期待し過ぎないことでしょうね。