知恵というのは色んな意味がありますが、一般的には知識とか物を考える力のようなことですよね。
知恵という言葉が使われることわざは数多くありますが、その中でも「知恵出て体偽あり」はそれほど知られているわけではありません。
どのような意味が込められているのでしょうか。
「知恵出て大偽あり」とは
「知恵出て大偽あり」ということわざの意味を知っている人はあまり多くありません。
その意味には、
人間は知恵を持つようになってから、嘘をついて人を欺いたり、偽りが現れてしまった。
ということを示しています。
大偽とは、大きな偽りのことです。
人間がまだ原始的に暮らしていたころは、嘘や偽りなどなく、素朴で平和に生きていたのに、知恵をつけてしまったために悪いことを考える人間が出てしまうので、法律や規則などが必要になってしまったという意味があるのです。
人間以外の動物は、生きることだけに素直です。
そういう動物たちを、知恵を持った人間が利用したり、傷つけたりするのは、本当に愚かな行為です。
人間が知恵さえつけなければ、地球上はもっと平和だったのでしょうね。
知恵をつけることによるマイナス面
知恵はできるだけ身につけた方が良いというのが常識ですよね。
知恵がなければ困ることも多いし、損することもあります。
でもそれは、人間社会が複雑になり、人を欺くようなことがあまりにも多いからでしょう。
知恵をつけると悪いことを考える人間が増えるので、そういう悪い奴らに騙されないためにも、さらに知恵をつけなければいけなくなります。
そういう意味のことわざもあるのですよ。
「知恵多ければ憤り多し」の意味
知恵をつけることは良いことばかりではなく、マイナスなこともあるという意味のことわざに「知恵多ければ憤り多し」があります。
このことわざの意味は、
知恵や知識を多く見につけてしまうと、世の中の矛盾や不合理なことが目につくようになり、憤慨することが増えてしまう。
ということです。
つまり、ボーっと生きていれば世の中の矛盾や不合理に気がつかないので、憤慨することも少ないが、知恵や知識があると、そういう矛盾を見つけてしまうので憤ることが多くなるというわけです。
まとめ
どう考えても、知恵がない方が良いなんておかしい話だと思う人が多いでしょうね。
でも、知恵がなくても幸せに生きられるのなら、そっちの方が良さそうな気がしてきます。
知識があっても、悪いことばかり考える人間が多過ぎるのも嫌な世の中ですよね。
人間が知恵をつけることをやめれば、地球はもっと長持ちするのかも知れませんね。
「知恵出て大偽あり」も「知恵多ければ憤り多し」も、とても複雑な気持ちになることわざでした。