私は猫が大好きなので、自宅にも猫はいますが、時々猫カフェにもいきます。
愛猫と他の猫の性格の違いや猫の習性などを観察したくなるからです。
じっと猫の様子を見たり、じゃれたりしていると感じるのですが、猫はそれぞれ個性が強くて、まるで人間みたいだなって思うことがあります。
猫の方もそう思ってよ
人間は色んなタイプがいるなぁって?
そうそう、クセがすごい人間が多いなぁって思ってるよ
もともと猫は犬のように群れで生きていないので、個性が強くなりやすいのでしょうね。
猫に比べれば人間の方が個性は弱いのかも知れません。
それでもやはり人はみんな違う考え方を持っているし、それぞれの気持ちに素直になれば、人とうまく付き合えないこともあるのでしょう。
小異を捨てて大同につく(大同を取るとも言う)ということわざには、人間同士が上手く付き合うためのヒントが込められているようです。
小異を捨てて大同につくとは
小異を捨てて大同につくとは、小さなことに関しては違う考えはあるけれど、基本的なことは同じならヨシとしようという意味です。
人間はみんな同じ考えを持っているわけじゃないので、仲間になったつもりでも違う意見を持っている人がいます。
小さな違いを気にしないで、土台だけでも同じならば良いでしょう!ってことです。
小異を捨てて大同につくの使い方
小異を捨てて大同につくということわざを使うとしたら、こんな使い方があります。
今度計画している旅行先のことだけど、みんな温泉に行きたいって言うから温泉旅行で決まりね
OK!魚介類が美味しいところなら嬉しいな
え、温泉は山合いの方が静かでいいでしょ
私は景色を楽しめる露天風呂に入りたいな
ちょっと、みんな色々言うけど全ての条件をクリアするのは無理だよ
そりゃそうだ
温泉に入ってみんなでゆっくりできればそれで良いでしょ
まあそうだよね、小異を捨てて大同につくってことで
女子会旅行の計画の段階の会話を例にしてみました。
女子会の計画中に古いことわざを使うことはないと思いますが(笑)
烏合の衆との違いとは
私が小異を捨てて大同につくということわざを聞いたのは、政治のことをニュースで報じていた時です。
2017年の衆議院選挙の時に新しい政党に入るだとか、排除されるだとかゴタゴタしていた時でした。
考え方が違うとしても、選挙に勝つために集まった党に入ることを言い訳する政治家が「今は小異を捨てて大同につく時ですから」と言ってました。
ですが、その様子を見ていた評論家は「所詮は烏合の衆です」とバッサリ言ってました。
烏合の衆とは、統一性がない集団とか、規律のない集団とか、ただ集まっているだけの群れのことです。
小異を捨てて大同につくということは、基本的なことや根底にある考え方の土台は同じことなので、外から見ると基本的な部分から全くバラバラの烏合の衆にしか見えなかったわけです。
案の定、その政党はすぐに名前も消滅して、また違う名前になりましたが、やっぱり所詮は烏合の衆としか見られていないようです。
ちなみに烏合の衆の烏とはカラスのことです。
カラスはそれぞれが知能が高いので、大きな群れになることは少ないのですが、いざという時には集まってきます。
普段は統制がとれていないのに、何か見つけると集まってくるので、バラバラの人たちの集まりにはピッタリの表現でしょう。
まとめ
人は一人では生きていけないので、大きなことを成し遂げる時や、大きな敵に立ち向かう時には仲間も必要です。
そんな時に自分のコピーのような人ばかりを見つけるのは不可能です。
小異を捨てて大同につくことは、生きる上で必要な術ではないでしょうか。