葬式すんで医者話ということわざの意味とは?知ると心が痛むかも!

ことわざ・慣用句

ことわざには、意味を知ると胸が締め付けられるようなことがあります。

例えば「葬式すんで医者話」ということわざです。

お葬式は悲しい儀式だもんね

 

にゃんこ
にゃんこ

うん、でもこのことわざは知らない

 

どんな意味なんだろう

このことわざの意味を痛感するような経験をしたことがあると、二度と忘れられなくなるでしょう。
葬式すんで医者話の意味を解説します。

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葬式すんで医者話の意味

葬式すんで医者話ということわざには、他にも同じ意味として、

「葬礼帰りの医者話」
「葬礼過ぎて医者話」
「死んだ後の医者話」

このようなに言い換えたことわざもあります。

意味は共通していて、手遅れになったことを後悔するということです。

亡くなってしまってから医者の話をしても意味はないのに、つい後悔の念が強すぎて「もっと早く治療すれば良かった」とか「他の医者に診せれば良かった」という後悔の言葉が出てきます。

本当に人の命が消えた時に使うこともありますが、今さらそんなことを言ってもそうしようもない・・という意味で使うことわざです。

ですが、ほんとに大切な人を病気で亡くした時などは、今さら・・とわかっていてもつい後悔してしまうものです。

そんな気持ちを経験していると、このことわざは痛感すると思います。

同じ意味のことわざ

葬式すんで医者話ということわざの他にも、手遅れになったことを後悔するとか、今さら遅い!ということを伝えることわざは沢山あります。

「家事の後の火の用心」は、すでに火事になって燃え尽きてしまった後に火の用心をしても意味がないということ。

「生まれた後の早め薬」は、今のような陣痛促進剤とは違って、昔の堕胎の方法としてお腹の子供を流す薬のことを早め薬と言ったそうです。
生まれてしまってからでは、何の意味もないということで、何とも残酷な表現のことわざですね。

「喧嘩過ぎて棒ちぎり」は、すでに喧嘩が終わったタイミングで棒を用意しても手遅れだということです。

「戦を見て矢を矧ぐ」は、戦が始まってから矢を作り始めるのでは手遅れになるということです。
矢は樹木を細工して作るものですから、一から作り始めるとかなりの時間がかかります。

戦が始まってからでは、矢ができる頃にはもう勝負はついてしまい役に立たないというわけです。

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昔も今も医者は評判が大切

葬式すんで医者話ということわざの意味を知ると、医者というのは昔から評判にさらされることがよくわかります。

評判の良い医者を見分けるために、今は病院専門の口コミサイトとかありますが、昔も人伝いが医者選びには重要だったようです。

まとめ

どんなに良い医者にかかっていても、大切な人を失った後には後悔するものです。

手遅れになって後悔しないようにしましょう!ということを伝えることわざとしてはかなりストレートな表現ですね。